2011年3月7日月曜日

前原誠司 まえはらせいじ

前原誠司前原誠司氏の潔さは政治家の多くは見習うべきではないでしょうか。偽メール事件では、小泉純一郎にまんまとははめられてしまった観があるが、若いだけに立ち直るのも早いように思っていたところに、今回の献金事件による引責は、先々物議をかもしそうな気がする。
子供手当てで数千万円も親から出してもらっている代議士、年間5万円の個人献金で罰せられる代議士。法治国家に住むものとして、いかようにもしがたい現実がここにある。

2011年3月6日日曜日

中濱万次郎

初めて「ジョン・マン」の名前を耳にしたのは、中学の頃だったでしょうか?記憶は定かではありません。ふとしたことでその名前を思い出し検索してみると、その子孫が伝記を出版していることを知りました。身内のことを記述することは、なかなか出来にくいものです。控えめすぎたり、誇張し過ぎたり、何れにしても批判の対象になってしまいます。
しかし幸いなことに、万次郎の子孫は医師として父の意思を継いだことによって、普通にそのことを受け入れられて、現在に至っているようです。
幕府としてはスパイの疑惑を持ったりして、対面を繕ったようですが、実際に身についた実力の持ち主は後の坂本竜馬や岩崎弥太郎にも影響を及ぼしたようです。英語・数学・測量・航海術・造船技術全てに通じる人材は当時日本に存在しなかったでしょう。
ネイティブの英語は、6年間の英語でwater=ウオーター(水)と習いますが、10年近くネイティブの英語に接していた万次郎は万次郎の英語はwater=ワラ(水)だったそうです。ネイティブの発音は殆ど理解できないでしょう。
日本の夜明けを指導したのは仲濱万次郎!!と申しても過言ではないと思います。しかもその子孫の方々は、アメリカのホイットフィールド船長の血縁者と交流があり現在に至っていると聞いて二度びっくりです。
親戚でも150年間続くことは珍しい昨今、太平洋を隔てた大西洋岸の地と交流が途切れないことは、誰にもまねの出来ない偉業としか言いようが無いでしょう。
その1

2011年3月5日土曜日

トイザラス

トイザらストイザらスは、おもちゃと子供家具・洋品を販売する専門店です。ロゴが変わっているので???ですが、アルファベットでは「TOYSЯUSで」日本語は「トイザらス」となっています。このアイデア(発想)は、日本マックの創業者藤田田と聞いて、納得できました。世界34カ国で、1548店舗のフランチャイズで子供に関係するアイテムを売りまくっているわけです。勿論中国にも2006年に設立されました。人口13億人は魅力でしょう。

2011年3月4日金曜日

水陸両用ブルドーザーD155W

D155W-1普段我々の生活範囲内で見かけるのは「パワーショベル」と呼ばれる建設機械です。バックホウやユンボとも呼ばれ主に掘削に使用されますが、土砂の積み込みや均平にも利用できるマルチ建機です。この出現によって、ブルドーザーの稼働率は極端に下がりました。広い土地で無い限りパワーショベルでその代用は十分すぎるほど可能です。
水陸2しかし、水陸両用となると、機種が限定されてしまいますので、写真のような建機の登場となるわけです。真ん中の煙突所の長い物が吸排気塔です。リモコンからの電波もここで受信して作業をこなします。
素人ながら、クローラークレーンのクラムバケットの方が作業効率が良さそうに思うのですが、其れができない何かがあるのでしょう。
水陸3名古屋市の庄内川左岸での工事なんですが、土砂の堆積は大雨時の洪水対策に必要な工事と思います。梅雨時までに完成して欲しいものです。
リモコンの建設機械はパワーショベルもあります。地すべり等で緊急の復旧が必要ながら、危険が多く立ち入りの出来ない場合は、この機械が活躍します。微妙な動きもオペレーターに忠実にです、あたかも運転席にオペレーターが乗っているかのようです。
更にこの応用で、地雷の撤去に大活躍しています。「キル・ブル」と言われた100トン級のブルドーザーの汚名返上に、たゆまぬ努力をしているわけです。と言いながらも、半分は軍事産業機械のような気もします。

2011年3月3日木曜日

桑名藩

江戸時代には伊勢国にあり、揖斐川に面した水城であったようです。現在も運河を通じて揖斐川に出れそうですが、実態は定かではありません。徳川将軍家の四天王に列せられる、本多忠勝の入府により立藩したようです。
木曽三川の、揖斐長良川に面した桑名藩は、常に水害の影響に直面していたことは容易に推測できます。現実に藩主の多くはその対策に苦労したようです。松平定綱の時代には、慶安3年(1650年)の大洪水では6万4000石もの被害をもたらす大惨事となり、第5代藩主松平定重は、53年間桑名を支配するという長期政権であったが、この時代も天災が相次ぎ、この騒動により定重は越後高田藩に懲罰的な移封を命じられたとのことです。これにより、現在の新潟県柏崎市に桑名藩の陣屋が設けられ、飛び地が存在することになりました。桑名藩から遠く離れた越後に所有地が出来るとは???流石徳川政権です。世界的な飛び地も不思議なほど多く、殆どが戦の影響でしょう。パナマ運河の両川岸も、最近までアメリカの租借地でした。運河を掘削したアメリカがその運営の関係からそのようになったのでしょうが、アメリカ橋が有名でした。

2011年3月2日水曜日

食器洗い用洗剤

食器洗い用の洗剤が無くなり、近くのコンビニに出かけるまでも無いと、ボディーソープを代用したが大失敗でした。洗剤としての役目は果してくれますが、香料が含まれているために、食品への移り香が気になり二度洗いとなってしまいました。
ボディーソープは洗剤であると同時に、におい消しであることを再認識した次第です。

2011年3月1日火曜日

ジョン万次郎 中浜万次郎

中浜万次郎
中浜万次郎
日本人の名字(苗字)は、地名から取ることが多いようです。ジョン・万と呼ばれた中浜万次郎も生まれた時に名字は無かったそうです。その後明治になってから、故郷の高知県土佐清水市中浜から、つけたそうです。
名字の多くは「地名」を取って付けられるようですが、徳川松平も基を辿れば地名と繋がっています。平家や源氏の時代にも同じような発想ができるでしょう。そのルーツは天皇家につながり、分家を繰り返しながら繁栄をして、地名から名字を付けています。
左のファイルの通り、中浜万次郎は勝海舟と同時代を生きています。違いは身分です。(意外なことに勝海舟のルーツは新潟県にあるようです。)生まれながらの武士と、名もない漁師の子では、同じ人間ながらも全く違う人生を歩むわけです。
漂流後アメリカで10年間生活する中で、英語・数学・測量・航海術・造船技術などを学ぶ。彼は寝る間を惜しんで熱心に勉強し、首席となった。
民主主義や男女平等など、日本人には新鮮な概念に触れる一方、人種差別も経験した。同時に捕鯨や金鉱労働で稼いだお金で、日本向け航海する船を捜し、ハワイで別れた同胞も連れて帰国するわけです。今考えても出来そうにない偉大なことをやってのけたわけです。ハワイの同胞も一緒に連れ帰るという義侠心は、困窮の中の私ではとても発想できそうにありません。鎖国を迫られた日本は咸臨丸で日米修好通商条約批准のため、勝海舟や福沢諭吉とアメリカに向かうわけです。2年以上も200トン前後の捕鯨船で働いていた万次郎にとって、海も陸も同じ感覚で生活できたでしょうが、経験の無い船長の勝海舟や福沢諭吉にとって耐え難い難儀で有った事は想像に難くないでしょう。620トンの咸臨丸でも洋上で時化に合えば木の葉と一緒です。(1万トンを超えるフェリーでも、冬の日本海ではそれなりに酔います。)その20分の一サイズの船が太平洋を越えるのですから、胃袋の中は水の一滴もなくなる思いでしょう。そうすると、精神的な衰弱が始まってきます。2ヶ月近くもその状態が続くことを思うと(実際には長くても1~2日で納まります)半狂乱に近い精神状態となってしまい食事は勿論、水でさえ喉を通りません。エネルギーが足りないところに生活意欲が減少するのですから、死人も同然です。
続く