2011年3月22日火曜日

14メートルの津波 東電の責任

航空母艦ジョージ・ワシントン東北地方太平洋沖地震はM9.0の規模で類まれな影響を及ぼした。それは揺れだけでなく、20メートルを越す津波の影響が最も大きく、過去の津波の経験を生かすことが出来ませんでした。陸前高田市や大船渡市、南三陸町のリアス式海岸に面した地域では過去の明治三陸地震やチリ地震の津波で10m以上の津波を経験して、その被害の甚大さを回避するために波消し堤防(防波堤)を設置しておりました。その規模は世界の各国から視察に訪れるほどの素晴らしさだったそうです。しかし残念ながら、その防波堤をはるかに超える津波が押し寄せ、役目を果せませんでした。
1995年1月17日の阪神淡路大震災の死傷者数は6437名でした。しかし今回は其れをはるかに上回る数字であることは間違い有りません。この経験で多くの国民は地震より「津波は怖い」と言う印象を心に焼き付けたでしょう。夢に出てくる金縛りのように、逃げても逃げても逃げ切れない恐ろしさは、この先の人生に「トラウマ」とならないことを願っております。
今回の地震で津波以上に恐ろしいのは原発の被害です。福島県では東北電力と東京電力の原子力発電所が多く有ります。其れが全てダウンしたために、首都圏を中心に停電が発生し、復旧の目途が立たず計画停電を余儀なくされています。福島第一原子力発電所は福島県双葉郡大熊町および双葉町にまたがる地域に建設され、関東地方に送電しています。今回に地震で原子炉の冷却装置が津波で被害を受け非常時の電源も確保できず、暴走してしまいました。
「想定外」と言ってしまえば其れまでです。そんな言葉で済まされるほど簡単なことではありません。日本有数の優良企業で、所得もそれなりに受けているでしょう。建設運営に当たっては多くの見識者によって決定されたはずです。しかし事故はおきてしまった。唯一の「被爆国」などと表現しながら、原発では被爆の心配が無いのだろうか?1%の可能性でも有ったのなら、お手盛り行政ではなく実態に沿った対策を打たないと、風評被害を含めて実被害は想像を絶する方向に向いてしまうような気がします。

2011年3月20日日曜日

タブー

タブーとは、「個人や共同体における言動を規制する広義の文化的規範」と説明されているが、法的な根拠は無いようです。1930年代のキューバ音楽にもその名前があり、「8時だョ!全員集合」のコントにも良く使われていました。ラテン音楽特有の明るさを感じますが、その意味するものは、黒人奴隷の悲哀を歌ったもので、白人女性に恋をする人種差別的なタブーを歌ったものと解釈されています。
芸能界や政界、マスコミ、・・・・・それぞれのタブーが存在するようですが、通常生活の私たちには理解不可能なものも多いようです。
タブーちょっとだけよ

2011年3月19日土曜日

原子力発電所=安全神話の崩壊

過去にも原発事故は起きていました。
東京電力の福島第一原子力発電所の1号機は水蒸気爆発による建屋の損壊により、原子炉格納容器内の圧力上昇、弁からの放射性物質の排出による地域住民の被爆が確認された。25年前のチェルノブイリ原発災害の二の前は避けなければならない思いと裏腹に、事態は悪いほうに舵を切ってしまった。関係者内部では「危険」を予知した詰が話し合われていたのでしょう。菅総理は早朝からヘリで現地入りして、10km範囲を非難勧告した。官邸に構えて、担当大臣に指示してもよかったとも思われますが、危機感からか早々に現地に飛んだ裏にはそれなりのものがあったのでしょう。官房長官もそのことを強調して報道しているようです。通常専門であり当事者である「東京電力側」からの説明が一番的確で正しく分かり易いと思うのですが、其れが殆ど無く政府の説明弁明に終始していました。
そもそも非常事態に備えた、数々の安全対策が施されているはずなのに、停電でポンプが動かない→サポートのディーゼルエンジンが起動しない→1時間程度稼動可能のバッテリーでポンプを動かし冷却水を注入。
緊急に備えてディーゼルエンジン発電機の点検は行っていたのか?他のエンジンはどうなのか・・・・・電力側から全く説明が無かったように思うが実態は????内閣は東電の代理ではないでしょう、壊滅状態の都市が隣にあるのに、そのことには触れないで原発事故の説明弁明に終始しています。
パフォーマンスが得意な菅総理らしい行動です。其れよりも、指導者らしく行動して欲しいものです。

波の高さ

気象情報では、天候や気温と一緒に波の高さも発表しています。「○○台風の影響で、内海では3メートルの波となります」等と気象予報士のお姐さん(男性もいます)が発表しています。この場合、長さ3メートルの船(ボート)では大変なことになってしまいますが、外洋では1波の長さが数十メートルと長いわけですから、影響を受けることは殆ど無いでしょう。ヨットで世界一周や、太平洋横断、最近話題になったのは間寛平氏のアースマラソンです。失礼ながらずぶの素人が太平洋を横断できるとは思っていません。サポーターや伴走の協力で成り立っていると思うのですが、それにしても小さな船が洋を横断するわけですから、時化の日も有ったでしょう。そのとき如何に耐え忍んだのか?
このことからも、外洋の波は波長が長いことがわかります。突き当たって跳ね返る陸が無いわけですから、波同士のぶつかり合いだけでしょう。
幕府は、1860(万延元)年日米修好通商条約の条約批准書を交換させるため勝海舟を艦長に咸臨丸でサンフランシスコを目指しました。
責任者は木村喜毅、同船者の中に福沢諭吉も居ります。しかし、日本人の多くは「船酔い」でシスコ到着まで殆ど床に伏せていたとの記録もあります。
この時の使節の随行艦として、実質的な艦長として活躍したのはかのジョン・マンこと中濱万次郎です。車酔いも船酔いも「三半規管」の誤作動による自律神経の異常に起因すると言われていますが、酔い止め薬が有った訳でもなく、経験と自律神経の発達?した人は大丈夫なのかも知れません。万次郎氏は長い間捕鯨船に乗って船旅をしておりましたし、生来の船乗りですから、船酔いの対処方法は理解して居ったのでしょう。簡単なところでは、波の上下にあわせて深呼吸すれば緩和されます。波に揺られて船が押し上げられるときに吸って下がるときに吐く。この技術を身につければ、かなり改善されます。
千トンに満たない排水量620トンの咸臨丸では、恐ろしいほどの船酔いだったでしょう。

2011年3月18日金曜日

米不足 スーパーに米が無い

タンクローリー
平成22年の夏は異常気温の猛暑で作況指数は全国で99であったから、それほど不作ではなかったことから、米不足は予想しなかったと思われる。しかしここに来て、東北地方太平洋沖地震の影響もあり、都内で米の買占めが発生している模様です。この原因は、製油メーカーの火災が起因していると思われますが、定かではありません。
被災地では、ガソリンや経由不足で、物資の輸送が予定通りに進まず、生活関連用品の不足が発生しています。
それに比べて、首都圏では製油所も多くあるし、トラックは自由に走行できると思うのですが、そうは行かないようです。ガソリン車は給油制限で一台当り30ℓまでとか説明している放送もありました。便乗値上げのパターンも有かな?と思ったりしますが????です。
この影響で野菜などの生鮮食品の品不足や、米まで商品棚から姿を消しています。その反動で、産直のネット販売に注文が殺到しているようです。
農水大臣は「米は不足していない」と火消しに躍起だが、口コミはなかなか止みそうに無い。
輸送業者は、配達制限をしているようだが、ここまで極端に影響が現れようとは、想像だにしなかったでしょう。

2011年3月17日木曜日

石油ショック

1970年代に二度有ったオイルショックは、原油の価格高騰によるものであった。
しかし今回は少し違っている。経済が中東の石油に極端に依存していることが高騰の原因であるが、円高で少しは抑制されていた。しかし今回は、輸送道路の寸断で国内のみ値上がりの兆しが無いわけでもない。
首都圏では「米」の値上がりで、買占めも出始めて品不足になっているとか?農水大臣は「在庫は十分ある」と説明しているが、現場に商品が無ければ不足とみなされてしまう。
野菜など生鮮食品は、輸送道路の影響で配達不能地域も出ているので、品不足は理解できるが、米までとは予想もしなかった・・・・・

2011年3月16日水曜日

東電 福島第一原発


福島第一原発
福島第一原発
未曾有を「みぞうゆう」と読んで国語能力を問われた総理大臣が居られました。事務方の書いた書類の棒読みが生んだハプニングなのでしょうが、言葉は自分なりに選んで発言しないと、真意が伝わらないと同時に、時として言葉が独り歩きすることになりかねません。
M9の未曾有の地震は、戦争の被害をも覆すほどのエネルギーを国民に見せ付けました。
海のお陰で生かされてきた日本国民は、海によってその生活を脅かされています。「一瞬のうちに」とは、このような状態を言うのでしょう。
ジェット機の速度にも相当すると言う850km/時は、100mを10秒で走るのと同じだそうです。だから、遠くに逃げるより高い所に非難する方が安全と言いますが、3階でも危ないとなれば、田舎のことゆえそれ以上の構造物がそんなに多くあろう筈もありません。
津波の恐ろしさに加えて、放射線の被害も出そうなふんいきになってきました。
そもそもの間違えは、緊急に備える発電用のエンジンが始動しないことから始まっています。津波の水を被ったでは言い訳は通らない、毎日点検していたのでは無いのか?下請けに丸投げするから終止が付かない事態が発生する。

2011年3月15日火曜日

輪番停電(計画停電)

輪番停電(計画停電)???過去に耳にしたことも無かった言葉が耳に飛び込んで来た。発電所の少ない発展途上国では、日常茶飯事のようですが、経済大国日本でここで起きるとは予想だにしませんでした。区域を決めて実施するので、例外や特例は無く一律に停電するために、特殊な医療機器を使用する場合や、病院などは自家発電による対応が必要になりますが、過去に例も無く昨日の今日では対応に無理があるでしょう。
東京電力も背に腹は変えられず、計画停電に言葉を変えて3月14日午後から実施に踏み切った模様です。
そもそもこの事態は、東北地方太平洋沖地震の影響で、福島第一原子力発電所の電源が切れ発電所の冷却が不可能になったことから水素爆発が起こり、放射の漏れが懸念されていることから、将来的な電源不足の対策で発せられているようです。
幾重もの安全対策が組まれている筈の原子力発電所で、電気の供給が切れた場合は、ディーゼルエンジンによる自家発電が立ち上がるはずなのに、起動しなかったとお粗末な説明をしている。4台有るエンジンのうち1台は起動したとの説明であったが、十分な冷却水を送るに足りるはずも無い。4台動いて当たり前の設備が、25%しか作動しない事態を、どこの責任としたいのか、これからの態度を静観したい。
計画停電
計画停電
公共機関ということで「国の手厚い保護」を受けながら、緊急時のつけを国民に回す実態は経営者の責任が問われても致し方ないと思うのです。

2011年3月13日日曜日

東日本巨大地震

今回の巨大地震の呼称はメディアによってさまざまです。
  • 読売新聞・日本経済新聞などでは「東日本巨大地震」
  • 産経新聞・朝日新聞・毎日新聞・時事通信社などでは「東日本大震災」
  • 共同通信社などでは「東北・関東大地震」
平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震気象庁が命名したにもかかわらず、それぞれ違う呼び方をするのは、国民にとって迷惑な話です。新たな地震が発生した?とまで行かなくとも、混乱しやすいので統一して欲しいものです。外国からの救援隊や物資も到着して復旧も進んでいくでしょうが、言葉を理解しにくい外国の人にもわかりやすいことは大切かと思います。
語学勉強のためにニユージーランドに渡った語学生が地震災害に遭遇して時間間もない日に、この災害が日本に起ころうとは誰が想像したことでしょう。
これまでの地震でも「津波」に対する速報を見聞きしていました。スマトラ沖地震(マグニチュード9)津波災害は記憶に新しいとこですが、1960年に発生したチリ沖地震でマグニチュード9.5、さらに2010年チリ地震はマグニチュード8.8とありましたが、三陸地方はチリ地震に起因する津波をもろに受けております。とくに、1960年(昭和35年)の時は、18000キロ離れた岩手県大船渡市付近に最大で6mの津波が地震発生から約22時間半後に襲来した。半世紀後の今回の地震でも津波の影響で大きな被害が発生している。
想定外という言葉がありますが、自然災害には基準となる想定がないために、今回の地震や津波の規模は想定外というほか無いでしょう。
1960年に発生したチリ沖地震を教訓に、岩手県宮古市田老では津波に備えて高さ10mの防波堤を作りましたが、今回の津波で破壊されてしまったそうです。時速800kmで走る津波は、リアス式海岸の狭まった地域で速度を落とし(深度が浅いため)横綱の鉄砲突きのように破壊力を増して突進したのでしょう。

2011年3月12日土曜日

東北地方太平洋沖地震

岩手県陸前高田市は、歌うホテル王と呼ばれた「千昌夫」の生まれ故郷です。星影のワルツでミリオンセラーを記録し、金髪外国女性大好きは有名です。彼にあこがれて歌謡界に飛び込んだ新沼謙治は隣の岩手県大船渡市出身です。どちらもリアス式海岸に面した街で、背景には険しい山が迫っています。
仙台から青森県の八戸市まで国道45号線で繋がっていますが、起伏の激しい曲がりくねった道路はドライバー泣かせでした。深くいりこんだ港は汽水域として、穏やかな漁場を作り深い港は天然の要塞とでも申しましょう。逆に背にする山は険しく道路を作るのに困難をきたすために、海路が開けていました。
そんな事情もあり、今回の地震では街が壊滅的な被害を受けてしまいました。つまり、山手を開発するのは困難なために、海岸線の平らな地域に住居や商店工場を形成して発展したわけです。漁業の基地としても欠かせない立場にありました。日本の観測史上最大のマグニチュード8.8の地震は「広島型原爆の5万倍に」相当するエネルギー(と言っても実感が湧かない)だそうです。安全であるはずのリアス式海岸にある良港が何故今回のような被害に遭遇したのでしょう。
被災者の皆様の一日も早い復興を祈念いたします。
津波に襲われる仙台空港
津波に襲われる仙台空港

2011年3月11日金曜日

坂上二郎氏永眠

芸能人にとって「当り(ヒット)」一つあれば、一生食べて行けるくらい大事な要素です。
「ど~してそうなるの!」(萩本)、「飛びます!飛びます!」(坂上)。
でブレイクしたコント55号の坂二次郎氏は2011年3月10日脳梗塞のため76歳の人生に幕を下ろした。ご冥福をお祈りいたします。
歌手を目指して鹿児島から上京したそうですが、確かに「歌手」らしい歌い方でした。NHKのど自慢コンクールで鹿児島県代表に選ばれ優勝しただけの実力は認めます。「学校の先生」しか記憶にありませんが、他にもシングル・LP/CDがあります。

2011年3月10日木曜日

違法献金と政治家

政党・政治団体への政治献金を規制する代わりに「政党交付金」を立法したのは1994年でした。国民一人当たり250円を政党議員数や得票数で割り振って活動費にすることで、違法献金をなくすることを趣旨としておりますが、実態は名前を変えた資金集めでしかありません。灰色の政治献金はなくなりませんでした。政治には金が掛かるであるならば、金の無いものは政治家になれないことにもなります。
外国人からの献金で前外務大臣の前原誠司は辞任となってしまいました。外国人にも多くの立場があると思いますが、焼肉店やパチンコ店の企業を含む個人の多くは在日韓国・朝鮮人が多いようです。これらの関係者は少なからず献金に関係しているように思われます。
菅総理もその槍玉に挙げられています、他にも多くの政治化が献金を受けているのではないでしょうか?明日は我が身か?針のむしろ状態の議員さん「あなた」大丈夫ですか・・・

2011年3月9日水曜日

大学入試カンニングの善悪

学歴優先社会の韓国では、携帯電話利用のカンニングは以前から問題視されていました。他にも女学生が下着にメモする手口や靴の中敷に隠す手口いろいろありました。
入学すればトコロテン方式で押し出される大学なら、其れもありでしょう。暗記で詰め込むだけの教育で、一時しのぎをしても何の役にも立たないと思うのですが。
いっそ、いかなる手段を使っても時間内により正確な解答を出すことに、その意義を見出すこともこれからのネット社会では必要と言う見解もあって当然かと思ったりもします。辞書でも、パソコンでも、自由に持ち込んで正解を検索する技術は、この先重要な能力と思うのですが・・・・したがって、学校ではその技術を教えなければなりません。もしかして先生にその能力が無いかも??????
先生を教育するパソコン学校?????・・・・・・・

2011年3月7日月曜日

前原誠司 まえはらせいじ

前原誠司前原誠司氏の潔さは政治家の多くは見習うべきではないでしょうか。偽メール事件では、小泉純一郎にまんまとははめられてしまった観があるが、若いだけに立ち直るのも早いように思っていたところに、今回の献金事件による引責は、先々物議をかもしそうな気がする。
子供手当てで数千万円も親から出してもらっている代議士、年間5万円の個人献金で罰せられる代議士。法治国家に住むものとして、いかようにもしがたい現実がここにある。

2011年3月6日日曜日

中濱万次郎

初めて「ジョン・マン」の名前を耳にしたのは、中学の頃だったでしょうか?記憶は定かではありません。ふとしたことでその名前を思い出し検索してみると、その子孫が伝記を出版していることを知りました。身内のことを記述することは、なかなか出来にくいものです。控えめすぎたり、誇張し過ぎたり、何れにしても批判の対象になってしまいます。
しかし幸いなことに、万次郎の子孫は医師として父の意思を継いだことによって、普通にそのことを受け入れられて、現在に至っているようです。
幕府としてはスパイの疑惑を持ったりして、対面を繕ったようですが、実際に身についた実力の持ち主は後の坂本竜馬や岩崎弥太郎にも影響を及ぼしたようです。英語・数学・測量・航海術・造船技術全てに通じる人材は当時日本に存在しなかったでしょう。
ネイティブの英語は、6年間の英語でwater=ウオーター(水)と習いますが、10年近くネイティブの英語に接していた万次郎は万次郎の英語はwater=ワラ(水)だったそうです。ネイティブの発音は殆ど理解できないでしょう。
日本の夜明けを指導したのは仲濱万次郎!!と申しても過言ではないと思います。しかもその子孫の方々は、アメリカのホイットフィールド船長の血縁者と交流があり現在に至っていると聞いて二度びっくりです。
親戚でも150年間続くことは珍しい昨今、太平洋を隔てた大西洋岸の地と交流が途切れないことは、誰にもまねの出来ない偉業としか言いようが無いでしょう。
その1

2011年3月5日土曜日

トイザラス

トイザらストイザらスは、おもちゃと子供家具・洋品を販売する専門店です。ロゴが変わっているので???ですが、アルファベットでは「TOYSЯUSで」日本語は「トイザらス」となっています。このアイデア(発想)は、日本マックの創業者藤田田と聞いて、納得できました。世界34カ国で、1548店舗のフランチャイズで子供に関係するアイテムを売りまくっているわけです。勿論中国にも2006年に設立されました。人口13億人は魅力でしょう。

2011年3月4日金曜日

水陸両用ブルドーザーD155W

D155W-1普段我々の生活範囲内で見かけるのは「パワーショベル」と呼ばれる建設機械です。バックホウやユンボとも呼ばれ主に掘削に使用されますが、土砂の積み込みや均平にも利用できるマルチ建機です。この出現によって、ブルドーザーの稼働率は極端に下がりました。広い土地で無い限りパワーショベルでその代用は十分すぎるほど可能です。
水陸2しかし、水陸両用となると、機種が限定されてしまいますので、写真のような建機の登場となるわけです。真ん中の煙突所の長い物が吸排気塔です。リモコンからの電波もここで受信して作業をこなします。
素人ながら、クローラークレーンのクラムバケットの方が作業効率が良さそうに思うのですが、其れができない何かがあるのでしょう。
水陸3名古屋市の庄内川左岸での工事なんですが、土砂の堆積は大雨時の洪水対策に必要な工事と思います。梅雨時までに完成して欲しいものです。
リモコンの建設機械はパワーショベルもあります。地すべり等で緊急の復旧が必要ながら、危険が多く立ち入りの出来ない場合は、この機械が活躍します。微妙な動きもオペレーターに忠実にです、あたかも運転席にオペレーターが乗っているかのようです。
更にこの応用で、地雷の撤去に大活躍しています。「キル・ブル」と言われた100トン級のブルドーザーの汚名返上に、たゆまぬ努力をしているわけです。と言いながらも、半分は軍事産業機械のような気もします。

2011年3月3日木曜日

桑名藩

江戸時代には伊勢国にあり、揖斐川に面した水城であったようです。現在も運河を通じて揖斐川に出れそうですが、実態は定かではありません。徳川将軍家の四天王に列せられる、本多忠勝の入府により立藩したようです。
木曽三川の、揖斐長良川に面した桑名藩は、常に水害の影響に直面していたことは容易に推測できます。現実に藩主の多くはその対策に苦労したようです。松平定綱の時代には、慶安3年(1650年)の大洪水では6万4000石もの被害をもたらす大惨事となり、第5代藩主松平定重は、53年間桑名を支配するという長期政権であったが、この時代も天災が相次ぎ、この騒動により定重は越後高田藩に懲罰的な移封を命じられたとのことです。これにより、現在の新潟県柏崎市に桑名藩の陣屋が設けられ、飛び地が存在することになりました。桑名藩から遠く離れた越後に所有地が出来るとは???流石徳川政権です。世界的な飛び地も不思議なほど多く、殆どが戦の影響でしょう。パナマ運河の両川岸も、最近までアメリカの租借地でした。運河を掘削したアメリカがその運営の関係からそのようになったのでしょうが、アメリカ橋が有名でした。

2011年3月2日水曜日

食器洗い用洗剤

食器洗い用の洗剤が無くなり、近くのコンビニに出かけるまでも無いと、ボディーソープを代用したが大失敗でした。洗剤としての役目は果してくれますが、香料が含まれているために、食品への移り香が気になり二度洗いとなってしまいました。
ボディーソープは洗剤であると同時に、におい消しであることを再認識した次第です。

2011年3月1日火曜日

ジョン万次郎 中浜万次郎

中浜万次郎
中浜万次郎
日本人の名字(苗字)は、地名から取ることが多いようです。ジョン・万と呼ばれた中浜万次郎も生まれた時に名字は無かったそうです。その後明治になってから、故郷の高知県土佐清水市中浜から、つけたそうです。
名字の多くは「地名」を取って付けられるようですが、徳川松平も基を辿れば地名と繋がっています。平家や源氏の時代にも同じような発想ができるでしょう。そのルーツは天皇家につながり、分家を繰り返しながら繁栄をして、地名から名字を付けています。
左のファイルの通り、中浜万次郎は勝海舟と同時代を生きています。違いは身分です。(意外なことに勝海舟のルーツは新潟県にあるようです。)生まれながらの武士と、名もない漁師の子では、同じ人間ながらも全く違う人生を歩むわけです。
漂流後アメリカで10年間生活する中で、英語・数学・測量・航海術・造船技術などを学ぶ。彼は寝る間を惜しんで熱心に勉強し、首席となった。
民主主義や男女平等など、日本人には新鮮な概念に触れる一方、人種差別も経験した。同時に捕鯨や金鉱労働で稼いだお金で、日本向け航海する船を捜し、ハワイで別れた同胞も連れて帰国するわけです。今考えても出来そうにない偉大なことをやってのけたわけです。ハワイの同胞も一緒に連れ帰るという義侠心は、困窮の中の私ではとても発想できそうにありません。鎖国を迫られた日本は咸臨丸で日米修好通商条約批准のため、勝海舟や福沢諭吉とアメリカに向かうわけです。2年以上も200トン前後の捕鯨船で働いていた万次郎にとって、海も陸も同じ感覚で生活できたでしょうが、経験の無い船長の勝海舟や福沢諭吉にとって耐え難い難儀で有った事は想像に難くないでしょう。620トンの咸臨丸でも洋上で時化に合えば木の葉と一緒です。(1万トンを超えるフェリーでも、冬の日本海ではそれなりに酔います。)その20分の一サイズの船が太平洋を越えるのですから、胃袋の中は水の一滴もなくなる思いでしょう。そうすると、精神的な衰弱が始まってきます。2ヶ月近くもその状態が続くことを思うと(実際には長くても1~2日で納まります)半狂乱に近い精神状態となってしまい食事は勿論、水でさえ喉を通りません。エネルギーが足りないところに生活意欲が減少するのですから、死人も同然です。
続く